Films(フィルムス)
Clever Rabbit(クレバー・ラビット) / Akagi, Chuji(赤城忠治) / Honma Express

Films(フィルムス)

Clever Rabbit(クレバー・ラビット)

Akagi, Chuji(赤城忠治)

Honma Express(=本間柑治)

Kuge, Yoshio(久下惠生)

フィルムスはたった一枚のアルバム『ミスプリント』(CDは加藤賢崇+寿博士のライナー付)を残して残念ながら解散してしまった私のフェヴァリット・テクノポップ・バンドです。音もジャケットもとても私のお気に入りだったのに。個人的には最大級の賞賛の意味を込めて『日本のバグルズ』(日本のチューブスと言う説もあり)と呼びたい。曲のタイトルも「TV Phone Age」(「Living In The Plastic Age」)、「Take Me On The Linear Jet」(「Johnny On The Monorail」)、「Crash Kids」(「Kid Dynamo」)、「30th Century Boy」(「Astroboy」)等、バグルズ的である。彼等こそ日本の最もキャッチーなテクノポップ・バンドです。¥ENレーベルからセカンドが出ると予定もあったがたち切れになってしまった。アルファさんに是非ともリリースしてもらいたいものです。少なくとも私は買います。メンバーの変動を繰り返し88年ごろまで活動をしていたうようです。フィルムス出身者はその後の日本の音楽界で一見目立たないが重要な人達です。赤城氏は後にクレバー・ラビットを結成し、斎藤美和子等のプロデュース業(赤城信夫という名義で)をしました。さえ子さんはシネマ(フィルムス以前)から鈴木慶一氏プロデュースによりソロへ。中原(ヤプーズでも活動)、鈴木両氏は野宮真貴さんとポータブル・ロックを結成しました。現在、中原氏は元シ・ショウネンの福原まりとFishermen Tit Totで活動しています。鈴木氏は現在元ピチカートの高浪氏とKC'sとして活動。岩崎氏はTPO参加、ソロ活動後、CMソング製作をしている。新しいレーベル、スウィミング・ブレットから:ginette:と言うユニット名で始動した。 小松氏は、その後東京ブラボー、久保田真吾のマッスルビート、ハウス・ユニットのSEXで活動していました。プログラマーの本間柑治氏はHonma Express名義でシンセ・フュージョン的アルバムを発表しました。外間氏は遊佐未森をてがけ、その後ソロ作も発表。友田氏はご存じ元シ・ショウネン。

<KO氏>遊佐未森を外間氏がプロデュースしている時に赤城氏、外間氏、中原氏の3人で LUMP というユニットを組んでいたらしいです。カセットが存在するらしく、それを何で知ったかというと当時遊佐のジャケを手掛けていた「GARDEN」というデザイン会社の作品集(カタログ?)に LUMP のプロモカセットが掲載されていたのです!!ひょっとして中は空っぽだったら笑いますが、実際存在するのかどうかは結局わかりません。ただ、その当時偶然渋谷のレコード店で外間氏を発見し、その時に「ランプはどうしてるんですか?」と聞いたら「停滞している」と答えてくれたのでユニットが存在したことは確かだと思います。そしてひとつだけLUMPの名前を確認できるのが遊佐のビデオ「東京BOOK」(映画仕立ての作品)で、音楽のクレジット「遊佐未森 WITH LUMP」です。

<元フィルムスの岩崎工氏>追加情報ですが、SEX ('89-92年頃)のプロデュースは旧知のSalon Music で、ワタシもSEXには髪白くして参加してました。(このバンドもちょっと早すぎたかも。)超カルトなとこでは、テクノ直前のコシ・ミハルのバンド('81-82年頃)は、岡野ハジメに、バナナ(その後EP-4とか、陽水プロデュースでも知られる)と私のツィン・キーボードなんて時期もありました。自分のソロのライブ('84-85年のOMD 来日のサポート)は、Filmsから、中ちゃん(中原信夫)、鈴木智文(後Portable Rock)を核に、ホッピー神山、矢壁クン のセット(当時Pink)、もしくは、小滝君(シネマ=>EX)+藤井章司さん(元一風堂)がサポートしてくれてました。当時のレコーディングには、Saxの矢口君(後にReal Fish結成)も参加。そう言えば、マキちゃん(野宮)のデビュー後のライブ('81-82年頃なので18年位前!?)智文、中ちゃんと手伝ったよナー....(後Portable Rockへ発展)

<岩崎工氏(私の質問に答えて頂きました)>
(プロモ・ビデオについて)フィルムスのプロモ・ビデオは、少なくとも2曲はあります。『T.V. PHONE AGE』と『30thセンチュリーボーイ』です。

(外間隆史氏について)鈴木さえ子から赤城忠治を紹介されて、フィルムスの最初のリハに行った時、(デビュー1、2年前で今から20年位前)すでに、外間クンは小松ちゃんやミツワと共にメンバーでした。外間と小松(当時二人とも10代)は、よく忠治に連れられて良く遊んでました。なんせフィルムスは、出入りの激しいバンドで、常に、Aチーム、Bチームがあったのですよ。

(本間柑治氏について)フィルムスとTPOのサウンドの核になっている重要人物が忘れられようとしています。現在は、片柳譲陽(じょうよう)という名で、作曲家、プロデューサーです。目立たないのですが、ちゃんとクレジットされているはずです。もともとソルボンヌ大出のJAZZベーシスト(!?)だったのですが、本間柑治率いるHONMA EXPRESSというアーティスト名で、昔のトリオ・レコードからLP一枚出ています。(ややジョルジオ・モロダー的でした。)知人の紹介で知り合ったのですが、このヒトは、フィルムスのアルバムで、MC-8とムーグ/System700を使った打ち込みを全てやってもらってます。(手弾きやボコーダー、ストリングアレンジは、ワタシですが。) その後、TPO結成の際には、プロデューサーとしてメンバー4人をまとめてました。確か、『サファリ...』という曲があったと思いますが、いくつかの曲では曲も書いてたと思います。ともかく音楽的にも洗練された、粋なヒトでした。

(TPOの安西史考氏について)安西クンとは、RolandのSynthコンクール荒らし、Rolandデモ演奏時代からの知り合いで、アマチュアバンドも含め、良くツインキーボードで仕事しました。彼は純粋に演奏のプロでもあったし、プログレ大王でしたね。フュージョンも上手でした。もちろんコンピューター(特にMC-8)に関しては、当時の音楽界では彼の上を行く人間はいなかった、と思いますよ。ついでに、RolandのSynthコンクール話しで言うと、川島バナナや、鄭(東和)氏もよく顔出してましたネ。(鄭クンには、後にNOKKOの仕事であった時に、本人から聞かされたのですが...) そのコンテストと言えば、PSY'S の松浦氏は、KM (キーボード・マガジン)の方の出身でした。80年代初頭までの音楽の世界は実に狭かった、ということでしょうかね。

<TK氏>アルファ¥ENレコードで制作された2ndは、ドラムしかレコーディングされてないらしいです。「ファインダーの中の雨」「五月の・・・・」「スチュートドリーム」の3曲のデモは、存在するそうです。 (聞いてみたいです。) その後ヴォーカルの赤城忠治は、クレバーラビットとして活動しアニメ「ファンシーダンス」のイメージアルバムを発売。またインディから「クレバーラビット」をリリースして解散しました。このアルバムは、元PINUPSのギターの人と主に活動しフィルムスを彷彿とさせます。その後、Velvet From The Lunaを結成したみたいです。

<元ピンナップスの江蔵浩一氏(クレバーラビットのアルバムでギタリストとして参加、Velvets From The Lunaのメンバー)からの情報基づき作成しました>82年に以下のメンバーで『1193 D_B_S』(1193 ダイナマイト・ブラザ−ス)の名で活動。

83年に石井為人君はアメリカへ旅立つ。天才少年?天災?バッハのようだった為人。秒単位のスケジュ−ルをこなし、なんとその後「プラターズ」に入団、あのでっかいアメリカ大陸&リゾート地帯をロードサーキット。タミートが行くならと、江蔵浩一 と忠治はロンドンへLespoul DX &サムソナイト。南回りPIA にて36 時間 ヒースロー空港は遠かった。

85年に師である近田春夫氏と再会、その年サウンドトラック「星くず兄弟の伝説」を新しいプロセスにて(サンプラー、フェアライト&シ−ケンサーの到来)実験研究。この時「クレイジーゲイム」だったと思うけど、江蔵&赤城レコード初共演。手塚眞氏との出会いもこの時。東京〜大阪を星くずツアー。DJスクラッチ+EGパワー+Rapボーカルと言う編成は日本で最初。

平行して立ち上げていたグループ「センセイショナル・フィクションズ」のスタート。

スイートチャリティーレコード設立。同時に片岡鶴太郎のバンド結成。プロデュース&アレンジメントをちょっと仕切りました。

そしてまた渡英。日英合作映画「ライダー」に出演。音楽制作はロジャーテイラー(クイーン)。

その頃クレバーラビッツのスタジオにギターで声がかかって、忠治って声質がグラムなんだよね。この指とまれっていったら、横山キース秀則 がOK!! クレバーから、キーボード&パーカッションにウリ米田、それからドラムスにTukemen月丘だったんだけど、消えちゃってサ!仲幸一郎(現デミセミクゥエーバー&チャラ等)ってすげえドラミングするのがいて、決まり。これが『ヴェルヴェト・フロム・ザ・ルナ』。みんなでメイキャップしちゃて、なんか学生時代の甘酸っぱさって言うかネ!いくらかのレコーディングの後、僕にプロデュ−スの仕事(KENZI 『ごちゃまぜのスープ』)が入り承諾。巷はすっかりイカテンブーム、すぐさまロージーロキシーローラーのセカンドCDのオファー、あの時メンバーのルックスが他のバンドに比べだんとつNo. 1だったので、即OKできたのが『ROCK GIRLS ROCK』もう、ぎりぎり限界破裂寸前のグラムビート。ヨシ!そろそろ行こうと横を見たらだれもいない、おまけに赤城君に、窪田晴男ちゃんがプロデュースを依頼してきた、ヴェッチン(バンドの愛称)ゼッタイ絶命、そのあとはどうなって行くのでしょうか?......

僕は今『Poodoll Goodoll』っていうチームでCDタイトル『Miss Romantina』ヴァイブレコード、ワナージャパン系から出ています、ギターカッコイイゾ!

<MAL氏(確認の上追加)>鶴太郎のアルバムの「キスヲ、モット キスヲ」はイミテーションの今井裕と金子進のプロデュースの元、逆井おさむ、フィルムスの赤城忠治、「リザード」のモモヨとか当時のニューウェーブな人達がサポートしました。

<オクダケンゴ特派員>窪田晴男が91年に発表したソロアルバム『Flying New Asian』の共同プロデューサーとして赤城信夫のクレジットがされています。ちわきまゆみの『アタック・トリートメント』では、作詩外間&作曲赤城が二曲と作詩外間が一曲です(外間コーラス一曲)。

<TSさん>「岡野玲子(手塚真の奥さん)作ファンシイダンス」(少女漫画です)のオリジナルCDに参加しています。これはご主人の真氏のプロデュースによるもので、前述のクレバー・ラビットの他、成田忍、土屋昌巳、伊武雅刀、沖山優司、バカボン鈴木、ケラ、中沢新一その他強力な助っ人によって構成されています。曲の内容もハイセンスでテクノです。

<THANKS TO TSさん>念願のクレバー・ラビットのCDをこのページにもコメント頂いたTSさんの御好意で譲っていただきました。僕はフィルムスが活躍していた(最低限僕のチャートでは)80年代前後は所謂日本のテクノポップ&ニュー・ウェイヴを良く聴いていましたが、80年代後半になるとしばらく遠ざかっていました。最初はもう一度フィルムスが聴きたいと思い、そしてクレバー・ラビットへと行き着いたのですが、彼等の唯一のフル・アルバムは廃盤でとてもレアなものらしく手に入ることはないだろうと諦めていました。そんな時にTSさんからオファーを頂き、98年12月31日にクレバー・ラビットの白い缶缶が我が家へ届きました。今年は兎年。TSさんありがとう。

<イトウさん>3〜4年前、手塚真氏が南青山マンダラでイベントをやっていたのですが、そこに赤城氏もでてました。ほのぼのした人だな、と思いました。残念ながらそのイベントはもう終わってしまいました。NW系のバンドがかなり出演していて楽しいイベントでした。

<依田氏>昔…80年代、TPOの「HOSHIMARUアッ!」はクラブでかけると、それなりに受けたんですけど、最近は誰も知らないみたいです(涙)。ファ−ストアルバムのアナログは試聴盤で持っているのですが、とても間抜けな小冊子が付いていて、かなり笑えます。


Films which disbanded leaving only one album called "Misprint" (CD includes the liner note by Mr. Kenso Kato & Dr. Kotobuki. ) regrettably is my favorite techno pop band. I loved their sound and cover art..... Personally, I would like to call them as "Japanese Buggles" (alternatively "Japanese Tubes") with the intent of my greatest appreciation to them. The titles of song are Bugglesque such as 'TV Phone Age' ('Living In The Plastic Age'), 'Take Me On The Linear Jet' ('Johnny On The Monorail'), 'Crash Kids' ('Kid Dynamo'), '30th Century Boy' ('Astroboy'). They are the most catchy techno pop band in Japan! There was a plan to release their second from \EN label, but it never happened. I really want Alfa to release it. At least I will buy it. Films were active until around '88 with a series of member changes. Ex-Films members are important in the Japanese music scene though they are not too visible. Mr. Akagi formed Clever Rabbit and produced Miwako Saito, Haruo Kubota ("Flying New Asian" in '91 as co-producer), etc. (as Nobuo Akagi). Saeko worked in Cinema (before Films), then as solo with Keiichi Suzuki. Both Nakahara (also played in Yapoos) and Suzuki formed Portable Rock with Maki Nomiya. Mr. Nakahara is currently working with Mari Fukuhara, ex-Shi-Shonen in Fishermen Tit Tot. Mr. Suzuki is currently working with Mr. Takanami, ex-Pizzicato as KC's. Mr. Iwasaki worked in TPO, as solo and on commercial songs. He is also staring a new unit, :ginette:, from his label Swimming Bullet. Mr. Komatsu played in Tokyo Bravo, Shingo Kubota's Muscle Beat and SEX, a house unit. Mr. Kanji Honma, a programmer, released his "Synth-Fusion" album under the name of Honma Express. Mr. Sotoma produced Mimori Yusa and recently release his solo album. Mr. Tomoda is ex. Shi-Shonen as you know.

<Mr. KO> Messrs. Akagi, Sotoma and Nakahara appear to have formed the unit called "Lump" when Mr. Sotoma was producing Mimori Yusa. It seems that the cassette tape exists, I got to know that Lump's promotion cassette was on the catalog of the design company "Garden" which was doing the cover art for Yusa Mimori. I would laugh if the tape was empty, and I do not know that it really exists. I discovered Mr. Sotoma at a record shop in Shibuya by accident, and I asked him "What's going on about Lump?". As he answered "It's stagnating.", this unit must have existed. I confirmed the name of Lump in Yusa Mimori's video "Tokyo Book" (soundtrack-like work), music was credited as "Mimori Yusa with Lump".

<Mr. Takumi Iwasaki of ex-Films> As additional information, SEX (around '89-92) was produced by my old friends Salon Music and I also attended the recording for SEX making more gray hair. (This band may have been also too early.) As super-cult information, Miharu Koshi Band just before Techno (around '81-82) had twin keyboards by BANANA (later EP-4, known as a producer of Yosui Inoue) and myself, on the top of Hajime Okano. My solo live (as a supporting act for OMD Japan tour in '85-85) was supported by Nobuo Nakahara, Tomofumi Suzuki (later Portable Rock) as key players, and additionally a set of Hoppy Kamiyama and Yakabe (Pink at that time), Kotaki (Cinema => EX) and Shoji Fujii (ex Ippudo). Yaguchi (later formed Real Fish) joined the recording for sax. I also remember that I helped Maki Nomiya's live after her debut (about 18 years ago as it was around '81-82!) together with Tomofumi and Nakahara (later became Portable Rock).

<Mr. Takumi Iwasaki (answering my questions)>
(About promotion video) There are at least 2 songs which promotion videos of Films were developed for. They are "TV Phone Age" and "30th Century Boy".

(About Mr. Takafumi Sotoma) When I went to the first rehearsal for Films after Saeko Suzuki introduced Chuji Akagi (about 20 years ago, a few years before our debut), Mr. Sotoma was a member with Komatsu and Mitsuwa. Sotoma and Komatsu (they were teens at that time) were playing together following Chuji. Films had many in-and-outs, and they always had A-team and B-team.

(About Mr. Kanji Honma) An important person who was the core of Films and TPO sound is being forgotten. Currently, he is a composer and producer under the name of Jouyou Katayanagi. He should be credited while it may not obvious. He was a Jazz bassist graduated from Solbone University, and he released one LP on old Trio Records under the name of Honma Express led by Kanji Honma. (It's a bit like Giorgio Moroder.) While I got to know him through my friends, he did all the programming using MC-8 and Moog/System 700 in the Films album. (I did manual operation, vocoder and strings arrangement.) After that, he coordinated 4 members as a producer when TPO was formed. I think there was a song called "Safari", and he composed several songs. He was a cool guy who was musically refined.

(About Mr. Takafumi Anzai) I got to know since Roland Synth Contest and Roland Demo Performance, and I often worked with him as twin keyboards including the amateur period. He was purely a professional player and a king of Progressive Rock. He was also good at Fusion. Of course, I think nobody surpassed him as for computer (especially MC-8) in the music field at that time. Talking about Roland Synth Contest, Banana Kawashima and Tei Towa often showed up. (Tei told me about it when I met him for Nokko's work.) Mentioning about this contest, Mr. Matsuura of PSY'S was also from KM (Keyboard Magazine). The world of music until early 80's was very narrow.

<Mr. TK> It seems that the second album produced in Alfa \EN Record had recording only for drum portion. There exists three demo tracks "Finder No Naka No Ame", "Gogatsu No .......", "Stewed Dream". (I want to listen.) Later Chuji Akagi, a vocalist, acted as Clever Rabbit and released the image album of the animation "Fancy Dance". They also released "Clever Rabbit" and disbanded. This album was made mainly with ex-PINUPS guitarist and reminds Films. After that, he formed Velvet From The Luna and also worked as a producer. He produced "Kiss Wo Kiss Wo Kiss Wo" of Tsurutaro Kataoka.

<Mr. Koichi Egura formerly in Pinups (who also joined the album of Clever Rabbit as guitarist and was a member of Velvets From The Luna> In '82, we played as "1193 D_B_S" (1193 Dynamite Brothers) with the following members:

In '83, Tamito Ishii left for the U. S. He was like genius or calamity. Managing second by second schedules, he joined famous Platters. He did a road circuit around the big American Continent and resort areas. Koichi and Chuzy went to London with Lespoul DX & Samsonite. It was very far to get to Heathrow Airport through South route for 36 hours.

In '85, I remet Mr. Haruo Chikada, my master and experimented the soundtrack "Hoshikuzu Kyodai No Densetsu" with new process (sampler, Fairlight & Sequencer had come). At that time, Egura and Akagi first did recording together with "Crazy Game" as I recall. It was also the time we met Mr. Makoto Tezka. We did "Hoshikuzu" tour from Tokyo to Osaka. It was the first Japanese band consisting of DJ Scratch, Electric Guitar Power + Rap Vocal.

We started "Sensational Fictions" which we formed in parallel.

Sweet Charity Records were founded. At the same time, Tsurutaro Kataoka's band was formed. I managed production and arrangement.

And I went to the U. K. again. I appeared on the movie "Rider" co-made by Japan & the U. K. Music production was done by Roger Taylor (of Queen).

Around that period, I was asked to play a guitar at Clever Rabbit's studio, and Chuzy has Glam-styled voice. When we asked who want to join, Hidenori Keith Yokoyama said "OK!", and Uri Yoneda as keyboard & percussion from Clever. Tukemen Tsukioka was a drummer, but he disappeared. Koichiro Naka (currently Demisemi Quiver? & Chara, etc.), an amazing drummer replaced him. This is "Velvets From The Luna". Everyone did make-up ~ sweet-bitter younger days! After we did some recording, I accepted the job to produce KENZI "Gochamaze No Soup". It was Ika-Ten boom out there, and we got an offer to produce the second CD of "Rosy Roxy Roller". At that time, their looks were far better than any other bands, and "ROCK GIRLS ROCK" was made quickly with Glam Beat that is about to explode. Then, there was nobody there when we were ready. In addition, Haruo Kubota asked Akagi to produce his. Vecchin (Velvet's nickname) was at risk. What happened to them?

I am currently working in the team called "Poodoll Goodoll" and released the CD "Miss Romantina" from Vybe Records - Warner Japan. Our guitar play is cooool!

<Mr. MAL (I added the information upon confirmation)> Tsurutaro's album "Kiss Wo, Motto Kiss Wo" was supported by New Wavy people at that time such Momoyo of Lizard, Chuji Agaki of Films, Osamu Sakasai under the production by Yu Imai of Imitation and Susumu Kaneko.

<Correspondent Kengo Okuda> Nobuo Akagi was credited as co-producer for Haruo Kubota's solo album "Flying New Asian" released in '91. The album "Attack Treatment" of Mayumi Chiwaki had two songs written by Sotoma & composed by Akagi, and one song written by Sotoma (One song with chorus by Sotoma).

<Ms. TS> They joined the original CD of "Fancy Dance by Reiko Okano (Macoto Tezka's better half)" (it's girly comic). This was produced by Makoto Tezka and beside the mentioned Clever Rabbit, it consists of Shinobu Narita, Masami Tsuchiya, Masatake Ibu, Yuji Okiyama, Bakabon Suzuki, Kera, Shin-ichi Nakazawa and other powerful supporters. The songs are at high sense and techno.

<THANKS TO Ms. TS> Ms. TS who provided the comments for this page kindly gave away Clever Rabbit's CD to me. I had listened to Japanese Techno Pop & New Wave a lot around 1980 when Films was active (at least on my chart); however, I was away from it for a while in late 80's. First, I felt I want to listen to Films again, then I reached to Clever Rabbit. I was hopeless to get it as their only full album is out of print and very rare. At that time, I got an offer from Ms. TS, and Clever Rabbit's white can arrived at my house on Dec. 31 in 1998. 1999 is the year of rabbit. Super thanks to Ms. TS.

<Ms. Ito> About 3 to 4 years ago, Mr. Makoto Tezka was holding an event at Minami Aoyama Mandara, and Mr. Akagi showed up. I felt he is a warm person. Unfortunately, the event ended. It was an entertaining event with a lot of NW bands.

<Mr. Yoda> Long time ago... in the 80's, "HOSHIMARU At!" got some attention when it was played at the club, but nobody seems to know this recently. I have the sampler of their first vinyl album, and it's funny that it contains a strange leaflet.

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